副住職の修行日記

 
 
私は、大学を卒業した後、高野山専修学院という所で一年間修行をしてまいりました。ここでは専修学院のおおまかな説明と、その修行の生活がどのようなものであったかを振り返り、紹介していきたいと思います。
 
 
○高野山専修学院とは?
 
高野山専修学院の歴史は古く、私は専修学院卒業生の70期生にあたります。
高野山専修学院は、高野山の西の果て、「大本山寶壽院」というお寺の敷地内にあります。その敷地内には、本堂、持仏堂、宿舎、授業教室、加行道場(本格的な修行をする場所)等々、お坊さんの修行をしていく上で必要不可欠なものがそろっています。
修行期間はおよそ一年間で、入学当初は般若心経すら覚束なかったのが、卒業時にはお葬式の作法を教えていただけるまでに育て上げてくれる修業道場、それが高野山専修学院です。
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○高野山専修学院のルール、食事
 
 
部屋は相部屋、食べ物は全て精進料理。食事中は音をたてることが許されず、麺類はすすって食べてはいけません。精進料理と聞くと、味気ないものばかりというイメージをお持ちの方が多いかと思いますが、専修学院には「食堂のおばちゃん」という院生の強い味方がおり、実に多彩な精進料理を作ってくれます。カレーやシチューが出てくることもあります。そういう時は本当に嬉しかったものです。
時間は分単位で決められており、自由な時間というのは一日にほとんどありません。仮に自由な時間ができたとしても、お経の練習や、作法を覚えたりすることに時間がとられてしまい、満足に休憩をとることができません。
夜は21時に絶対消灯を余儀なくされ、もし一分でも電気を消し遅れたり、お喋りをしていると、鬼の寮監先生にこっぴどく叱られます。
起床は朝の5時ですが、5時10分から朝勤行が始まるため、5時に起きると十中八九朝勤行に間に合いません。なので私は遅くとも4時半までには起きていました。
21時に寝て、4時半に起きる…この生活サイクルにようやく慣れたのは高野山専修学院に入学してから一ヵ月半経ったくらいの時でした。この睡眠時間も、2学期の修行が本格化する時期になると、さらに減ることになります。
修行中は基本的にはこのお寺の敷地内から外出することはできません。在学中に外出できるのは週に2回ある外出の時間、もしくは夏休み、冬休みの長期休暇のみです。
 
 
○高野山専修学院で辛かったこと、良かったこと
 
最初は基本的に全てのことが辛かったです。朝勤行、下座(掃除)、聞き慣れないお経の練習、夕勤行、正座、寮監先生からの指導等々なんでもかんでもです。
月日が経ち高野山専修学院の生活に少しずつ慣れてきても、常に何か不安要素がある日々が続きました。自分の中で不安要素がなくなったのは、2月の下旬になってからでした。
でもこういう経験ができたことは、自分にとってマイナス面ばかりではなかったと思います。
 
まず最初に、修行という過酷な状況下で苦悩を共にする仲間に出会えたこと。彼らと一緒にしんどい時は支えあい、楽しいときは共に楽しむことができたことは、今までの人生とは一線を画す妙味がありました。もし独りで専修学院で修行をしていたなら、三日と経たずに辞めていったことと思います。
 
そして、何よりも自分のためになったということです。自由気ままに過ごしてきた学生時代とは無縁だった修行の世界に放り込まれ、入寮当時は精神的に追い詰められました。その時、今までの自分がいかに甘い人間であったかと思い知りました。そんな甘い自分を叩き上げる場所としては絶好の修行の場であったと思います。これまでお経や声明、作法などをちゃんと学んだこともなく、最初はちんぷんかんぷんだったものが、自分の努力に伴って、だんだんと体得できていくことに日々地道に努力することの大切さを改めて実感しました。
 
 
 
2013年3月に僕は高野山専修学院を卒業しました。卒業時に「卒業してからが本当の修行だ」と先生方から散々言われました。今私は、それを実感しております。
まだまだ修行が足りていない未熟な僧侶ですが、これからも日々精進を重ね、人々の役に少しでも立てることのできる人間になりたいと思っております。
今後とも、よろしくお願いいたします。
 
 
2013年10月21日~12月4日の日程で「四国八十八箇所」を歩きで遍路してまいりました。
歩き遍路を通して経験したことをこれから歩き遍路を考えている人の役に立てれればと思い、ブログページを作りました。是非ご覧ください。