お彼岸も終わりました。
えらく更新が滞ってしまい申し訳ありません。
生存報告もかねて、更新させていただきます笑。
お盆お彼岸と続き、やっと一息という感じですね。
八月は雨がほとんど降りませんでしたが、その分を取り返すかのように、9月は雨が多かったように思います。
また台風の被害も甚大で、改めて自然のおそろしさ改めて自然の恐ろしさを垣間見たように思いました。
さて、先日友人の話を聞いていた時にふと気になったことがありました。
それはその友人の悩みがとても小さいということです。
人は誰しも悩みを抱えています。しかしその大きさはさまざまで、誰もが認める大きなものから人からしたら大したことがない小さいものまで多種多様です。
前者の悩みというのは人に相談した際、おそらく誰もが熱心に相談に乗ってくれることと思います。「会社を辞めようかどうか迷っている。」、「今お付き合いしている人と結婚するかどうか迷っている。」、そういった人生の決断ともいえる悩みというのは、人の共感を得れるものです。
しかし問題は後者の人からの共感を得られがたい小さい悩み。傍から見ればそれほど大きな悩みでもないのに、本人がそれを大きな悩みにしてしまっている場合です。人はどんな環境にいる人でも必ずと言っていいほど、悩みを持っています。悩みを本能的に作り出しているといっても過言ではありません。そして小さい悩みを自分の中で大きな悩みにしてしまった場合、人に相談しても「そんなことで悩まなくても」と言われるかもしれません。
そうしてだんだんと孤立していき、最終的には自ら命を絶つ人もいることでしょう。
小さな悩みを自分の中で大きな悩みにしてしまうのは大変危険なことだと思います。
小さな悩みを大きな悩みにしてしまう事がある人は、その悩みが本当に悩むべき悩みなのかということを冷静に見つめることが大切だと思います。
おそらく、悩みがなくなることはありません。だから仏教では四苦八苦を説き、人生は思い通りにならないから諦めなさい、と説いているのではないでしょうか。
人生は思い通りにならない、しんどいことが多々ある中でも、見る視点を少し変えれば偶然に偶然が重なって今の自分が、家族が、友人がいる。これは有り難い、素晴らしいことではないでしょうか。「仏心な遥かにあらず、心中にしてすなわち近し」というお大師様のお言葉があります。幸せとは自分の足元、もっといえば心の中にあるように思います。