私事ですが

2016年02月01日 00:53

本日、2月1日は私、副住職の誕生日です。

誕生日というと、一般的には、生まれた方をお祝いする日ですが、お釈迦様は「母親に感謝する日」と説かれました。

 

自分が生まれたという日は母親が命がけで自分を生んでくれた日であり、またこの日を迎えるまで数々の困難を乗り越えてきたことだと思います。

一般的に男性は陣痛に耐えれないみたいですね。私もその例外ではないと思います。

なのでみなさん、これからは誕生日には自分の出生だけでなく、母親に感謝、またその母親を支えてくれていた父親やその周りの方々に、改めて感謝の念を伝える日でもあるということを再認識していただければと思います。

 

「いつまでもあると思うな親と金」とよく言われます。

お金はいわずもがなですが、「親」というものについて最近よく考えることがあります。

おそらく私が本当の意味で親の有難みというのがわかるには、親と同じような人生を歩む必要があると思います。

結婚して、子供を授かって、育つにつれて色んな困難にぶち当たっては乗り越えていって、やっと独り立ちしたと思ったら、親元を離れて会えるのはお盆と年末の年数回。

あんなに手に塩かけてきたのに大きくなってからは滅多に顔も見れない。

でも向こうには向こうの事情があるからとあれこれ口を挟まずに遠くから温かい目で見守ってくれている。

ここから先は悲しくなってくるので割愛。

 

そんな親の人生を、自分も歩んでいくことで、本当の意味での「親の有難み」というのが感じることができるのではないでしょうか。

そしてそういう段階というのはたいてい自分が歳を重ねて年金をもらう段階に入っていることだろうと思います。

そうなると親が生きているということはかなり確率が低くなってくるのだと思います。

 

だから本当の意味で親の有難みがわかり、親へ感謝を伝えようと思っても伝えれないなんてことは悲しすぎますから、まだ100%親の有難みがわかってない段階であっても、親に感謝の気持ちを伝えることと言うのは本当に大事なことだと思います。

 

「また今度、機会があったら…」という方がいらっしゃるかもしれませんが、いったい誰が東日本大震災のことを予知できたでしょうか?

私たちが当然と思っていることはたった1日ですべてが変わってしまうくらいにもろく、また有り難いことなのです。

 

もしこの記事を読んで親に対して何かしなければ、となった方がいらっしゃったら幸いです。

なんか熱くなって筆が止まらなくなってしまいました。稚拙な文章で申し訳ないです。

 

最近は専ら2月3日の星供に向けて準備を行っています。

壇や飾りも1から作っているので大変ですが、大変やりがいがあります。

もう明後日のことですので、なんとか間に合わせるようがんばります!